#Blacklivesmatter で思うこと
世界が今、とめどない差別の波に打ちのめされています。無抵抗のジョージ・フロイドさんは死にいたるまで9分近く床におさえつけられました。彼は、”I can’t breathe (息ができない)”と叫びました。近くにはアジア系の警察官も傍観していたようです。インターネットに広がったビデオには、警察官の暴挙を止めず、撮影を続ける人たちの無慈悲な声が聞こえています。その後に何が起こったかはご存知の通りです。
また5月27日、クルド人男性が渋谷の路上で警察官2人に押さえ込まれ、首に全治一ヶ月のけがをしました。この状況を捉えた動画には、「まじやばい」など、まるでそれをエンターテイメントとして消費するかのように、無邪気な悪意があふれていました。この事件を引き金に、渋谷では大規模なデモが開かれました。
個人的な話をします。ベルリンにくるまで、直接的な差別は受けてきませんでした。日本に生まれ、何の不自由もなく母国語を喋り、大学教育を受けてきた男性。これだけの大きな特権を持っていれば、日本で差別を受けることはありませんでした。ただ、ベルリンに来てその立場は変わりました。アジア系で同性愛者。これだけで差別のターゲットになりえたのです。
コロナ禍の最中、外出しなければならない時に電車に乗ると、普段より周りの視線が違うように感じました。酔っ払いには、クソバイキン野郎と罵られました。助けてくれる人は誰もいませんでした。プライドウィークの時、パートナーと手を繋いで歩いていたら、見知らぬ白人の中年男性に「キモい、ホモが」と通りすがりに罵られました。二人はこぶしを握りしめながら、力の無さを感じました。
コロナウィルスを起点に、毎日の「当たり前」が変わりつつあります。しかし、差別を受ける人たちの「当たり前」は依然として変わりません。愛する二人が、罵倒される心配もなく、手をつないで歩けない。携帯を取り出しただけで、取り調べを受ける。子供の頃から、外出するときは警察に気をつけなさいと注意を受ける。シカゴ市長のライトフット女史は言いました。「Being black in America shouldn’t be a death sentence」ーアメリカでブラックに生まれることが死刑宣告であっていいわけがない、と。
なぜ今、 #Blacklivesmatter (黒人の命は大切だ)が重要なのか。なぜ #Alllivesmatter (みんなの命が大切だ)ではいけないのか。それは迫害を受けている人の叫びを、全員の話にすり替えて、抑圧構造を強めているだけでしかありません。みんなの命が大切なのは、ビリーアイリッシュがインスタグラムのポストで訴えているように、当たり前のことなんですよ。なんで国際女性デーがあるのか。なぜプライドウィークがあるのか。考えたことありますか?特権階級に与えられた、当たり前の毎日がないから、日々安心して暮らせないから、その権利を訴えるためにやってるんです。繰り返しますが、今なぜ #Blacklivesmatter が重要なのか、考えてみてください。
じゃあ今できることは何か。Ko ArchivesさんのInstagram投稿にいくつか方法が提案されています。扉写真の女性たちが訴えているように、ただ傍観し、中立を決め込むのは、抑圧する側に立っているのと同じことです。自らを教育し、声をあげてください。差別はダメだと言うことに、何の恥ずかしいこともありません。僕は微力ながら先日リリースしたアルバムの利益を https://www.blackvisionsmn.org/ に寄付することにしました。クィアとトランスの権利を中心に活動する団体です。
最後に15歳のシンガー、Keedron Bryantの「歌」でとりあえず筆を置きます。感情に任せて書いたので、足らないところも多いかもしれませんがお許しください。